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大内氏家臣桑野氏

 投稿者:桑野  投稿日:2003年10月14日(火)01時16分55秒
  織田信長が生まれた天文三年(1534)に、今は浮羽郡浮羽町にある大生寺で、大内氏の家臣だった桑野興国が、妙見城に反旗を翻した星野親忠を斬ったことが、あるwebページに載っていました。現在出典など確認しているところです。また何かわかったらお知らせします。  

嗚呼壮烈岩屋城址

 投稿者:桑野  投稿日:2003年10月14日(火)01時08分14秒
  安東さん、こんにちは。
情報を有り難うございました。岩屋城は戦国の九州における一大戦記を成す城で、双方多大の犠牲と物語を生んで、高橋紹運と島津・秋月がぶつかった場所ですよね。私も昔足を運びまして、先人の歴史を偲びました。意外に城らしくない見晴らしのいい丘で、そこから見える景色をのんびり楽しんだのを覚えています。

「筑前戦国史」他で、新右衛門が岩屋城を守ったことや、島津撤退後に立花方に攻められて火をつけられ城を捨てたことは知っていましたが、出典は「豊薩軍記」だったのですね。詳細な様子がわかり大変興味深いです。

新右衛門は一説には、岩屋の戦いの戦死者供養の責任者を勤めたと言われています。すでに50歳の壮年、翌年春には秀吉に蹂躙され九州の戦国は終わりますが、そうした国内の状況の中、岩屋の戦いの後の約一ヶ月をこの城でどのような思いで過ごしたのでしょうか。一度、嘉穂町の墓所を訪ねてみたいと思っています。
 

お返事遅くなりました

 投稿者:桑野  投稿日:2003年10月14日(火)00時33分54秒
  小倉の桑野さん
書き込みありがとうございました。しばらく三重県に旅行しておりまして遅くなりました。
さて、大名にお屋敷があったとのこと、城下町ですね。19世紀初頭の福岡・博多の九大所蔵古地図がインターネットで公開されています。大名のあたりは下記のURLあたりでしょうか。文字は解読不能なところもありますが、どこかにご先祖のお名前がありそうな気がします。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kochizu/minagi7b.htm
では
 

桑野氏と安東氏の接点

 投稿者:安東 隆治  投稿日:2003年10月 9日(木)09時27分52秒
  こんにちは!九州安東氏です。
桑野氏と安東氏のことが「豊薩記」なる書に記載してありましたので、HPにアップいたしました。島津軍として岩屋城を守っていた桑野新右衛門氏を立花、毛利(秀吉軍)が攻めたときの事のようです。桑野新右衛門氏は秋月よりとあります。
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/andou3/allandou/fukuoka/tikuzen/takatorijyou.htm
では

http://www.aa.alpha-net.ne.jp/andou3/allandou/fukuoka/tikuzen/takatorijyou.htm

 

(無題)

 投稿者:小倉の桑野  投稿日:2003年10月 7日(火)14時26分17秒
  桑野です、こちらこそよろしくお願いします。

ご先祖様のことがわかるって、なんか不思議な感じです。
詳しいことは現時点でわかりませんが、私の叔父が家系図を作って
いるようなので、ちょっと聞いてみます。
ちょっとお時間ください。
私が知ってる限りでは、福岡市中央区の大名に屋敷があって、
曽祖父の時代まで大名にいたそうです。


 

よろしくお願いします

 投稿者:桑野  投稿日:2003年10月 4日(土)21時51分18秒
  はじめまして、黒田藩に仕えた方のご子孫に初めてお会いします。今後ともよろしくお願いいたします。

私が把握している範囲では、七郎という名は、戦国期の小野谷桑野氏に一人(天正期)。七がついた名は、古い方から、高鍋藩に七左衛門(寛永期)、小野谷桑野氏に七助(享保期に卒)など数人、小倉藩に恵七(享保期に卒)、黒田藩桑野氏に兵太/半七衛門(丁度享保期です)、福間桑野氏に七右衛門(文政期)がおられました。

黒田藩に仕えておられたとすると、ひょっとすると半七衛門の縁者の方になるのでしょうか。系図によれば、この方は支藩の秋月藩の黒田氏から50石を加増されたりしていますので、秋月藩領地内である甘木に領地があったというのも一致しますが・・・いかがでしょうか?
 

はじめまして

 投稿者:小倉の桑野  投稿日:2003年10月 4日(土)12時31分34秒
  桑野です(笑)
たまたま、見つけてしまいました。
死んだ祖父母からの聞いてることは、江戸期は甘木で領地があり、黒田藩に仕えていたとのこと。祖父の名前は、江戸時代の享保のころのにいらっしゃった「桑野七郎右衛門」
から取って「七郎右衛門」でした。(明治生まれなのに!!)
ちなみに家紋は丸に梅鉢ですw
 

リンクの件

 投稿者:安東 隆治  投稿日:2003年 9月17日(水)18時43分38秒
  ご協力感謝いたします。
早速当方にリンクさせていただきます。
今後とも宜しくお願いいたします。
 

はじめまして

 投稿者:桑野  投稿日:2003年 9月16日(火)23時42分49秒
  はじめまして。安東氏のHPを拝見いたし、美的センスと緻密な調査に感嘆いたしました。いつかは私もきちんとupdateしたいと思っております。

桑野氏は、大内大友の抗争に翻弄される筑前豊前の国人として応仁期以降文献に現れますが、まだ戦国以前に遡る系図が発見されず、九州各地や全国に散らばる同姓の関係は推測の域を出ません。ぜひ相互リンクさせていただき(明日より出張のため更新遅れます)、これからも情報交換をよろしくお願いいたします。

なお、安武さんとは以前メールやり取りをさせていただいております。私の祖先が明治期に久留米市安武に住んだことや、江戸初期の遠い祖先が安武から分かれていることもあり、少なからぬ因縁を感じております。

戦国末期には九州の多くの国人は負け側となり、記録が残りにくかったためか、まだまだ調べるべきことが多いと感じております。これからもよろしくお願いいたします。
 

豊後安東氏

 投稿者:安東 隆治  投稿日:2003年 9月15日(月)12時51分13秒
  はじめまして、豊後安東氏のHPの管理人安東です。
小生の祖は大友氏に随行して、鎌倉(関東)より豊後入国し、その後九州各地に存在しております。特に大友氏の栄枯盛衰に関係しております。つきましては、相互リンクをしていただきたく、また、情報交換の場にしていただけませんでしょうか?
立花氏(大友の家臣の戸次道雪が祖)に関しましても、安東氏も豊後より筑前立花山城に存在しております。
宜しくお願いいたします。また、安武さんのHPもよろしくです。

http://www.aa.alpha-net.ne.jp/andou3/

 

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